1970年は大阪で万国博が開催された年です。大阪府内に住んでいたのでたびたび見に行く機会があり、世界の文化や科学に興味を持ち始めたのもこのころでした。
FM放送やラジオの深夜放送では洋楽があふれていて、どんな人か見たこともなくても音楽だけで満足していました。
サイモンとガーファンクルはギターを持ってるマセガキたちはよくコピーをして弾いていたので、なんとなく知っていましたが、自分でレコードを購入するのは、もう少しあとのい高校生になってからでした。「コンドルは飛んでいく」も70年のヒット曲です。
ビートルズの「Let It Be」、「The Long and Winding Road」でビートルズの時代は過去になりつつあり、イギリスからエルトン・ジョンの「Your Song」、今、聞いても全く飽きないすばらしい歌です。
でも、この年はなんと言っても洋楽で一番印象に残った曲はマンダムのテレビCMでよくかかっていた「男の世界」ではないでしょうか。あとで歌っていたジェリー・ウォーレスという人の顔を見てがっかりしたのを覚えています。チャールズ・ブロンソンのような渋い人かなと想像していたので。私にとって初めての一発屋でした。
そのラジオは木製合板の筐体で重厚感があり、FM放送が聴けるというので、1970年当時、大阪府に住んでいた私は、NHK-FM、FM大阪(当時開局したばかり)の2局をよく聴いていました。SONYの「8F-48」というモデルで、とにかく雑音がAM放送に比べてはるかに少なくクリアな音声で、スピーカーは一つしかありませんがステレオ的な音響に感激したものです。NHKはクラシック中心だったので、もっぱらFM大阪から流れてくるハイセンスな語りや音楽、特にポピュラー、歌謡曲、ロック、イージーリスニングといった音楽に興味を持つようになりました。
ラジオはAMチャンネルの深夜放送が全盛期でみんな夜遅くまで勉強しながら、または暇つぶしにただなんとなく耳を傾けていました。FMラジオ以前からAMの毎日放送、朝日放送、ラジオ大阪などで、ポピュラーミュージックはまあまあ馴染みがあったのですが、FM大阪には都会を感じさせる雰囲気が漂っていました。とにかく堅苦しいクラシックには敬遠していたので、NHKにはあまり合わせなかったのですが、ただ大阪でローカルに放送していた平日18時-19時、土曜日15-18時のリクエスト番組はよく聴きました。
ある日、FMで放送される音楽がリクエスト番組以外、掲載される「週間FM」や「FMファン」という雑誌が本屋さんで売られているのを知りました。
生まれた時には家にはラジオしかなくまだテレビはありませんでした。夕方になると近所のテレビのある家に兄たちと一緒に行って、「月光仮面」、「七色仮面」、「少年ジェット」、「怪傑ハリマオ」などの子供向けのヒーロードラマを見ながら一生懸命、主題歌を覚えました。そして、風呂敷をマスクやマント代わりに使い、ヒーローになったつもりで遊んでいました。
小学生の頃、ある日父親が卓上プレーヤーと軍歌のソノシートを買ってきました。音はあまりよくなかったけど「戦友」、「同期の桜」、「麦と兵隊」といった軍歌で、このときレコードを初めて聴きましたが、学校の音楽室で聴いたステレオの音響には衝撃を受けました。家でステレオが聴ければいいなあと思いつつ、音楽とは全く縁のない家庭なので永遠に無理だろうとあきらめていました。
中学2年生の時、父親がFM放送が聞くことができるSONYのラジオを買ってきました。このラジオが私にとってその後の生活スタイルを変える「マシン」となりました。
私は、こちらのピアノ・声楽教室の先生の助手を担当しています。
ピアノや声楽には全く未経験で、音楽は聴く程度の素人ですが、自分にとっての音楽とは何か振り返ってみると、時代(年代)と共に常に音楽との関わりがあったように思います。
じゃあ、自分の思うまま音楽との関わりをつづってみようかなと、ジョッギングをしているとき、ぱっと思いつきました。
もし音楽がなかったとしたら、自分の息遣いしか聞こえないジョッギングなんてただの苦痛の運動であって、三日坊主でやめていたかもしれません。音楽を聴きながら目で移りゆく風景を見て仕事や家のこと、昔や将来のことを考えられる。ほんとうに楽しい時間だと思います。
こちらのピアノ・声楽教室は、音楽にもっと関心を持って自分でやってみようという大人の方も大歓迎です。是非、音楽にもっと気軽に親しんでみてください。